2007年03月16日(Fri)
品川心中
昨日は、落語ネタで話を始めましたので
今日も、これで参りましょう。
えー、品川心中でござぁーい。
「なんでーぇ、なんでーぇ、品川と日本橋じゃぁ
えれーぇ、遠いじゃねーか」
と、おっしゃるかも知れませんが
この話は、我が町日本橋三丁目に
縁もゆかりも、ございます。
JR品川駅の高輪口を出て、第一京浜の広い通りを隔てて、
真っ正面をご覧いただくと、
ビルの狭間に、えらく窮屈に建ってる神社があります。
高山神社(高山稲荷)です。
いま、安政四年(1857)の地図を見ていますが、
神社の前の通り(現、第一京浜)から先は海です。
京浜急行、JR線は、海だったところに線路がございます。
線路にそって、しばらく行くと、
京浜急行とJR線をまたぐようにかかっているのが八ツ山橋で、
それから先が、品川宿。
東海道で一番目の宿場ですが、
むしろ遊郭として、明治維新まで栄えたのでございます。
八ツ山橋を渡ると、下り坂になっており、
その坂のとっかかりに
「これより東海道」と棒杭がたっていたそうな。
坂を下りきった、ちょうど京浜急行の北品川駅あたりから、
青物横丁までの間に、引手茶屋と旅籠がびっしりと並ぶ。
幕末の弘化(1844〜48)ごろ、南北品川の娼妓499人、
娼家95軒を数えたと言いまして、
北の吉原の向こうをはった様な威勢でございました。
遊里、遊郭のことを江戸から見た方角で(隠語として)呼んだので、
吉原を北国と呼び、洲崎(深川)を辰巳(南東)ですから、
品川は南となります。
こんな言葉は、どこの学校の歴史の授業でも
教えてくれませんな。
「お江戸日本橋七つ立ち」と申します。
「七つ」とは、夜明け、つまり明け六つの2時間ほど前ですから、
朝の4時頃になります。
その七つに、日本橋を出発すると、
ちょうど、空が白けるころ品川に着きます。
日本橋から品川まで、歩いて2時間になります。
今じゃ、車の渋滞で、同じく2時間かかります。(汗)
遊里としては、江戸の中心から近くはないのに、
ずいぶん通う人がいたそうです。
吉原と違った、気安い風情が人気でございました。
品川宿も、目黒川を渡ると、南品川と申しまして、
庶民的なぐっとお安い店が並んでおりました。
その一つ「白木屋」が、落語「品川心中」の舞台でございます。
白木屋のナンバーワン花魁(おいらん)が、お染と申しますが、
もうベテランでございまして、寄る年波に勝てず、
ご贔屓の客も一人減り、二人減り、
生き恥晒すなら、いっそ誰かと心中しようと思い立ったわけでございます。
ベテランつまり、年増ですが、当時の年増は、せいぜい二十歳すぎ、
今じゃー、ちゃきちゃきでございますから、
ああ、もったいないお話です。
そのお染にそそのかされて、主人公金蔵が、心中を図りますが、
白木屋の裏の桟橋から、自分だけ先に飛び込まされて、おぼれてしまう。
ところが、品川の海は遠浅で、
膝ッ小僧までしかないところでおぼれているのに気がつき、
はい上がって、ずぶぬれの身を引きずり、
手前の親分をたよって、野良犬に追われながら行く。
親分の家にたどり着いてのドタバタが、クライマックスとなります。
さて、親分は、また、金蔵はどこに住んでいたのでしょうか?
話の中で、金蔵は、「中橋から通って来る貸本屋の金さん」とある。
中橋とは、中橋広小路と呼ばれた場所。
ちょうど中央通りと八重洲通りの交差点あたりでしょうか。
当時の貸本屋は、
本をいっぱい入れた大きな風呂敷を担いで
路地の一軒一軒回って、
新本を貸し出したり、貸した本を回収した。
すると、
金蔵は
通り町(我が町日本橋三丁目)あたりの長屋に
住んでいたかもしれない。
縁も、ゆかりもござんしょっ!!
品川宿は、明治五年(1872)の鉄道開通後、無用の長物化し、
すっかり寂れてしまったのでございます。
しかし、つい2〜3日前に、品川に行って驚きましたー。
品川も、まぁ、ずいぶんと変わりました。
京急デパートの一階におしゃれなレストランができて、
高輪レディーと思わしき、品の良いご婦人達が集い。
駅裏には、にょきにょきと高層ビルが建ち並び、
東海道新幹線も品川に停車しておりますね。
もし、
この品川の変貌ぶりを、金蔵やお染さんが見て、
さて、
その心中は????
品川心中でございました。
今日も、これで参りましょう。
えー、品川心中でござぁーい。
「なんでーぇ、なんでーぇ、品川と日本橋じゃぁ
えれーぇ、遠いじゃねーか」
と、おっしゃるかも知れませんが
この話は、我が町日本橋三丁目に
縁もゆかりも、ございます。
JR品川駅の高輪口を出て、第一京浜の広い通りを隔てて、
真っ正面をご覧いただくと、
ビルの狭間に、えらく窮屈に建ってる神社があります。
高山神社(高山稲荷)です。
いま、安政四年(1857)の地図を見ていますが、
神社の前の通り(現、第一京浜)から先は海です。
京浜急行、JR線は、海だったところに線路がございます。
線路にそって、しばらく行くと、
京浜急行とJR線をまたぐようにかかっているのが八ツ山橋で、
それから先が、品川宿。
東海道で一番目の宿場ですが、
むしろ遊郭として、明治維新まで栄えたのでございます。
八ツ山橋を渡ると、下り坂になっており、
その坂のとっかかりに
「これより東海道」と棒杭がたっていたそうな。
坂を下りきった、ちょうど京浜急行の北品川駅あたりから、
青物横丁までの間に、引手茶屋と旅籠がびっしりと並ぶ。
幕末の弘化(1844〜48)ごろ、南北品川の娼妓499人、
娼家95軒を数えたと言いまして、
北の吉原の向こうをはった様な威勢でございました。
遊里、遊郭のことを江戸から見た方角で(隠語として)呼んだので、
吉原を北国と呼び、洲崎(深川)を辰巳(南東)ですから、
品川は南となります。
こんな言葉は、どこの学校の歴史の授業でも
教えてくれませんな。
「お江戸日本橋七つ立ち」と申します。
「七つ」とは、夜明け、つまり明け六つの2時間ほど前ですから、
朝の4時頃になります。
その七つに、日本橋を出発すると、
ちょうど、空が白けるころ品川に着きます。
日本橋から品川まで、歩いて2時間になります。
今じゃ、車の渋滞で、同じく2時間かかります。(汗)
遊里としては、江戸の中心から近くはないのに、
ずいぶん通う人がいたそうです。
吉原と違った、気安い風情が人気でございました。
品川宿も、目黒川を渡ると、南品川と申しまして、
庶民的なぐっとお安い店が並んでおりました。
その一つ「白木屋」が、落語「品川心中」の舞台でございます。
白木屋のナンバーワン花魁(おいらん)が、お染と申しますが、
もうベテランでございまして、寄る年波に勝てず、
ご贔屓の客も一人減り、二人減り、
生き恥晒すなら、いっそ誰かと心中しようと思い立ったわけでございます。
ベテランつまり、年増ですが、当時の年増は、せいぜい二十歳すぎ、
今じゃー、ちゃきちゃきでございますから、
ああ、もったいないお話です。
そのお染にそそのかされて、主人公金蔵が、心中を図りますが、
白木屋の裏の桟橋から、自分だけ先に飛び込まされて、おぼれてしまう。
ところが、品川の海は遠浅で、
膝ッ小僧までしかないところでおぼれているのに気がつき、
はい上がって、ずぶぬれの身を引きずり、
手前の親分をたよって、野良犬に追われながら行く。
親分の家にたどり着いてのドタバタが、クライマックスとなります。
さて、親分は、また、金蔵はどこに住んでいたのでしょうか?
話の中で、金蔵は、「中橋から通って来る貸本屋の金さん」とある。
中橋とは、中橋広小路と呼ばれた場所。
ちょうど中央通りと八重洲通りの交差点あたりでしょうか。
当時の貸本屋は、
本をいっぱい入れた大きな風呂敷を担いで
路地の一軒一軒回って、
新本を貸し出したり、貸した本を回収した。
すると、
金蔵は
通り町(我が町日本橋三丁目)あたりの長屋に
住んでいたかもしれない。
縁も、ゆかりもござんしょっ!!
品川宿は、明治五年(1872)の鉄道開通後、無用の長物化し、
すっかり寂れてしまったのでございます。
しかし、つい2〜3日前に、品川に行って驚きましたー。
品川も、まぁ、ずいぶんと変わりました。
京急デパートの一階におしゃれなレストランができて、
高輪レディーと思わしき、品の良いご婦人達が集い。
駅裏には、にょきにょきと高層ビルが建ち並び、
東海道新幹線も品川に停車しておりますね。
もし、
この品川の変貌ぶりを、金蔵やお染さんが見て、
さて、
その心中は????
品川心中でございました。
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